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仙台高等裁判所 平成元年(ラ)39号 決定 1989年9月01日

抗告人 木村孝夫

外2名

主文

原審判を取消す。

抗告人らの相続放棄の各申述をいずれも受理する。

理由

1  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状写し記載のとおりである。

2  本件の事実関係は、次のとおり訂正、付加するほかは、原審判の理由1及び3記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)理由3の(1)を以下のとおり訂正する。

亡清は、生前、長男である河合茂明の家族と同居し、大工として近所の家屋等の増改築や修理等の仕事をしていたが、昭和55年か56年頃に脳卒中で倒れた以降は大工職を止め、孫の守りやゲートボールなどをし、昭和55年12月頃から支給されるようになつた年額20数万円の年金と同人の妻シズ子の農作業から得られる収穫等により生活してきた。

(2)  本件記録によれば、次の事実が認められる。

(イ)  被相続人である河合清は宅地、田、畑など合計10,173平方メートルと建物157平方メートルを所有していたが、上記土地の大部分は畑であり、畑のうち約7割が桑畑で、残り3割位を野菜畑として被相続人の妻シズ子が耕作していた。

(ロ)  抗告人らは相続財産としてこれらの不動産があることを認識していたが、抗告人らの意識には、農家では原則として長男が後を継ぐにとになつていたので、被相続人の長男茂明が後を継ぎこれらの不動産を取得するものと考え、これらの不動産については関心がなかつたので、何ら調査をしなかつた。

(ハ)  しかるに、上記不動産の大部分について、昭和56年5月27日受付をもつて、原因同月6日設定、極度額2,965万円、債務者河合清、根抵当権者○○市農業協同組合とする根抵当権設定登記がなされていた。また、茂明は昭和51年に有限会社○○建築工業を設立し、自ら代表取締役となり、被相続人を取締役としたが、同人は名目的取締役であつて、上記根抵当権は有限会社○○建築工業の運転資金を借入れるため、茂明が被相続人名義で設定したものであり、茂明が被相続人名義で借入れた負債総額は約2,762万円に達していた。

3  (1) ところで、相続放棄の申述を受理するかどうかを判断するに当り、家庭裁判所がいかなる程度、範囲まで審理すべきかは、受理審判の法的性質をいかに考えるかによるものであるが、相続放棄は自己のために開始した不確定な相続の効力を確定的に消滅させることを目的とする意思表示であつて、極めて重要な法律行為であることに鑑み、家庭裁判所をして後見的に関与させ、専ら相続放棄の真意を明確にし、もつて、相続関係の安定を図ろうとするものである。

従つて、受理審判に当つては、法定の形式的要件具備の有無のほか、申述人本人の真意を審査の対象とすべきことは当然であるが、法定単純承認の有無、熟慮期間経過の有無、詐欺その他取消原因の有無等のいわゆる実質的要件の存否の判断については、申述書の内容、申述人の審問の結果あるいは家庭裁判所調査官による調査の結果等から、申述の実質的要件を欠いていることが極めて明白である場合に限り、申述を却下するのが相当であると考える。けだし、相続放棄申述受理審判は非訟手続であるから、これによつて相続関係及びこれに関連する権利義務が最終的に確定するものではないうえ、相続放棄の効力は家庭裁判所の受理審判によつて生じ、それがなければ、相続人には相続放棄をする途が閉されてしまうのであるから、これらの点を総合考慮すると、いわゆる実質的要件については、その不存在が極めて明らかな場合に限り審理の対象とすべきものと解するのが相当だからである。

(2) これを本件についてみるに、前記2で認定した事実によれば、抗告人らは被相続人が生前不動産を所有し、相続財産としてこれらの不動産が存在することは認識していたものの、抗告人らの意識では、これらは農家にあつては、後を継ぐべき長男が取得するもので、抗告人らが相続取得することはないと信じ、被相続人には債務がないものと信じていたものであり、かつ、前記2の被相続人の生活歴、本件債務の発生原因、抗告人らと被相続人及び茂明との交際状態等からして、そのように信じたとしても無理からぬ事情があることが窺われるのである。従つて、民法915条1項の起算日については、前記2の昭和63年11月に農協から請求を受けて債務の存在を知つた時と解する余地がないわけではないと考えられる。

(3) そうであるとすれば、抗告人らの本件相続放棄の各申述は、(1)に従い、受理すべきが相当である。

4  よつて、家事審判規則19条を適用して、原審判を取消し、抗告人らの相続放棄の各申述をいずれも受理することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 糟谷忠男 裁判官 渡邊公雄 後藤一男)

(別紙)

抗告の趣旨

原審判を取り消す。

本件を福島家庭裁判所郡山支部に差し戻す。

抗告の理由

1 原審判

福島家庭裁判所郡山支部は平成元年4月18日付、同月25日送達の審判でもって、抗告人らが被相続人河合清(昭和63年3月24日死亡)の相続につき昭和63年12月6日なした相続放棄の申述をいずれも却下した。原審判の理由は以下のとおりである。すなわち、

「申述人らは、被相続人には積極的な相続財産があることを知っていただけでなく、被相続人が前記茂明の経営する建築業に協力していたことも知っており、被相続人の農協に対する債務が発生し始めた時点では、申述人木村孝夫は前記茂明の下で大工として稼働していたし、申述人村田健司は被相続人及び茂明と同居していたのであるから、右両申述人は被相続人及び茂明とは密接な生活関係を有していたと認められるのであり、申述人河合和之は右両名と比較して被相続人らとの生活関係が希薄であることは否めないが、実家との交際を断絶させたり音信が不通になったことなどはなかったのであるから、結局、被相続人の負債についてその存在を知らなかったとしても、申述人らに相続債務の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があるとまでは認められず、被相続人の債務が存在しないと信ずるにつき相当な理由があるとは言えない。この結論は、農家においては相続につき前近代的とも思われるようなルーズな慣行があることを考慮しても左右されるものではない。」

2 原審判の不当性

(1) 原審判は理由の一つに、抗告人らが被相続人に相続財産があることを知っていたことをあげている。ここにいう相続財産とは土地建物等の積極財産のみを指しているのであるが、積極財産があることを知っていたことは「被相続人に相続財産(積極的なものも、消極的なものも含む)が全く存在しないと信じたため」(理由2記載)という要件を具備していないことになると判断したものである。

しかし、相続を承認するか、放棄するかの選択をするためには、その前提として、相続財産の内訳、とりわけ積極財産と消極財産とのいずれが多いかを調査することが必要なのであって、そのための調査期間として与えられているのが3か月の熟慮期間である。積極財産があってもそれをこえる消極財産があるのに、なおかつ相続する相続人はいないし、積極財産をはるかにこえる莫大な消極財産があるというのに相続する相続人は絶対にいないと断言することができるのである。特に農地である本件相続財産にあっては、その売買が制限されて買受人がなく、その上、必ず長男が相続取得するものとされていたような場合には価値的にはむしろ、積極財産は存在しないと評価することができるのである。

この点については、むしろ、消極財産の全部又は一部の存在を知っていたかどうかこそが問題とされるべきなのである。消極財産の全部を知っている場合はいうまでもなく、消極財産の一部の存在だけでも知っておれば、他の消極財産についても知り得るから、消極財産の全部又はそのほとんどを知った上で、相続を放棄するか否かを判断しうるからである。消極財産の存在を知らずして積極財産の存在を知っているだけではむしろ、相続を放棄しないのが普通である。

(2) 理由2に記載されている「被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状況その他諸般の状況からみて、当該相続人に対し、相続財産の調査を期待することが著しく困難な事情がある」ことの要件に関連して、抗告人らは被相続人が茂明の経営する建築業に協力していたことを知っていることをあげ調査期待の困難な事情がないことの証拠としている。しかし、被相続人は本件借入れの数か月前に脳卒中で倒れて左半身が不自由となっていたのであって、その頃から全く仕事をしない状態となった。それから被相続人の死亡まで7年間も経過しているのであって、ぶらぶらして電話番ぐらいしかしていない被相続人が多額の借金をするなど全く夢にも思わなかったのである。また茂明の営業状態がどうであるかということに関心などなく、抗告人らには茂明が被相続人名義を、勝手に冒用して農協から多額の借金をするなど全く思いもよらなかった。抗告人らに対し消極の相続財産の有無の調査を期待しうる事情は無かったと断ぜざるを得ないのである。

原審判は抗告人木村孝夫が被相続人の農協に対する債務が発生し始めた時点では、茂明の下で大工として稼働していたことを前記困難な事情がなかったことの一つの根拠としている。たしかに茂明の下で大工の仕事に稼働していたものであるが、茂明の仕事を専属にやっていたというわけではなく、他の工務店の仕事もしていたのであり、また茂明の仕事をしている時は茂明から約束通りの給料も順調にもらっていたのであるから、茂明の営業がおもわしくなく、茂明が被相続人名義で借金をしたかも知れないと疑ってしかるべき事情は全くなかった。

(3) 原審判は抗告人村田健司が被相続人及び茂明と同居していたことを前記困難な事情がなかったことの一つの根拠としているが、同抗告人は勤務先である旧国鉄の教育課程を受けるため別居することが多く、勤務も時間が不規則で、顔を合わすことも少なく、ほとんど茂明や被相続人と話しをする機会がなかったというのが実状であった。

(4) 原審判は抗告人河合和之につき、実家との交際を断絶させたり、音信が不通になったことなどなかったことを前記困難な事情がなかったことの一つの根拠としている。しかし、調査期待の困難な事情の有無を判断するのに被相続人との関係をそのように狭く解するのは不当である。要は調査を期待し得ないような事情があるか否かが問題なのである。抗告人河合和之にそのような事情があったものと判断すべきことは一点の疑いもないということができる。

(5) 原審判は特別受益証明等により長男が単独相続する慣行を目して、「相続につき前近代的とも思われるようなルーズな慣行」と表現しているが農業経営の細分化の防止自体は国の基本的な施策である。これを一概に前近代的と評価することには問題がある。農家相続のむつかしさをかえりみることなく、本件につきこのような評価を前提として、結局表面的形式的に原審判の結論をひきだしたものと思われるが、その不当なことはいうまでもない。当代理人は農家相続に対する深い理解があってこそ、「相続債務の有無の調査を期待することが著しく困難な事情」「被相続人の債務が存在しないと信ずるにつき相当な理由」等についての正当な判断ができるものと考え、この点を強調したが、原審判がこの期待に答えなかったことは非常に残念である。

〔参考〕 原審(福島家郡山支 昭63(家)2501、2502、2503号 平元.4.18審判)<省略>

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